末広町・成正寺にある大塩平八郎のお墓へ参ってきたよ

大塩平八郎のお墓

大塩平八郎のお墓

大塩平八郎の乱でおなじみ、平八っつぁん(なれなれしい)のお墓を訪ねて参りました!

平八っつぁんは養子・格之助とともに、大塩家の菩提寺である成正寺(じょうしょうじ)に弔われています。

大塩平八郎のお墓

中斎大塩先生墓と、大塩格之助君墓

「中斎」は号。称号というか、ペンネームみたいなものかな?

江戸時代は平八っつぁんのお墓を建立することは禁じられていました。

このお墓は1897年(明治30年)になってから、田能村直入(たのむら ちょくにゅう)が建立したものです。

田能村直入は平八っつぁんの学塾・洗心洞で陽明学を学んだ日本画家です。

戦災で本堂・お墓ともに破損してしまいますが、1947年に有志によって復元されました。

大塩の乱に殉じた人びとの碑

こちらは大塩の乱に殉じた人びとの碑

乱150年にあたる1987年に建立されました。

大塩平八郎とは・・・簡単に

平八っつぁんは江戸時代後期の陽明学者、大坂町奉行の与力です。

14歳の頃から奉行所に勤め、キリシタン摘発や同僚の汚職を暴くなど、功績を残しています。

与力を辞した後は自宅で学塾・洗心洞を開き、子弟教育にあたりました。

当時は商都・大坂でも餓死者が出るほどの飢饉にも関わらず、役人は米蔵を抱えた豪商と癒着し、たいした策をとりませんでした。

平八っつぁんはたびたび奉行所に訴えたり、自身の大切な5万冊もの書物を売り払って貧民にお金を配ったりしていたものの、状況は変わらず。44歳の時、貧民救済・幕政の刷新を求めて武装蜂起。豪商の家に火がつけられ、天満を中心とした大坂市中の5分の1が焼失しました。これが大塩平八郎の乱です。

反乱はわずか半日で鎮圧され、平八っつぁんと養子・格之助は自害。

この反乱は全国に広く伝わり、幕府や人々に大きな衝撃を与えました。各地で同様の乱が頻発し、強大な権力を持っていた江戸幕府の威光にかげりが見え始め、明治維新へとつながっていったわけです。

私たちが当たり前に享受している民主主義というのは、こんな風に命を賭して戦った人たちがいたからこそ存在しているものなんですよね・・・そんなことを考えながら、お墓に手を合わせました。

成正寺へのアクセス

末広町・成正寺

成正寺は1604年、日秀上人によって開創された、日蓮宗のお寺です。寺地と妙見大菩薩像を豊臣秀吉から与えられたんだとか。

門はいつでも開かれていて、境内は自由に参拝できます!

南森町駅から徒歩5分くらい。寺町通りと呼ばれる、お寺が並んだ通り沿いにあります。

南森町駅6番出口から出て、天神橋筋を北上(扇町方向)

ひとつ目の信号を左折したら、70mくらい先の右手にあるのが成正寺です。

地図だとここ。

成正寺 大塩平八郎墓所
住所:
大阪市北区末広町1-7
電話番号:
06-6361-6212
開門時間:
終日
公式サイト:
成正寺
※情報は記事公開時点のものになります。変更となる場合もありますので、最新情報は店舗にご確認いただきますようお願いいたします。